「なぜ自分はこんな苦しみにあうのか。」
誰しも1度は抱く疑問ではないだろうか。
苦しみについては、いくつかの理由がある。少なくとも、アダムとエバが罪を犯す前には、苦しみはなかったと言える。彼らが神様を裏切り、善悪の知識の実を食べてしまって以来、人類全体が堕落してしまい、神様との交わりが失われてしまったのだ。堕落の記事によれば、産みの苦しみや労働の苦しみなども、ここから始まったことが記されている。つまり、罪は多くの苦しみの根本的な原因であると言える。
しかし、こういうみことばもある。
ある盲人を指して、「彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。」と弟子たちがイエス様に尋ねた。イエス様は答えた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネの福音書より)
本当に苦しみの中にある人は思うことだろう。「自分に神のわざなど起こらなくて良い。それよりもこの苦しみを取り除いてくれ。」と。
しかし、恐ろしい病や苦しみを通っている人々の中に、驚くほどの輝きを持って生きている人々がいるのはなぜだろうか。
ヘレン・ケラーという人は、3重苦を背負っていたことで有名だ。目が見えない。耳が聞こえない。話すことができない。闇と沈黙の世界がどこまでもつづくのである。これを読んでいるあなたは、少なくともこの世界を知らない人だと思う。私も同様だ。
でも、彼女はこの苦しみがなければ、自分は神と出会い、神の目的に生きることを知ることができなかったと告白している。そして、自分に与えられたこの苦しみを感謝し、肯定しているのだ。そして、世界中の人々は、彼女によって多くの励ましを受け、生きる希望を与えられたのだ。彼女がなした功績は、あまりにも大きい。
「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出す。」(ロマ5:3-4)とのみことばが真実だからではないだろうか。
人間本来の美しい成熟は、苦しみによって生み出されるものであるのではなかろうか。私の周りにも様々な困難、苦しみの中におられる方がたくさんいる。でも、その中で神様を見上げて感謝をもって歩んでいる人を見るときに、神様が苦しみを通らせるわけを少し理解できるような気がする。
すべての苦しみを説明しきることは、私にはできない。しかし、はっきりと言えることはある。その苦しみを通ることを良しとされている方は、愛と真実に満ちたお方なのだ。