律法って堅苦しい?
2006-11-15


Q. 聖書の中にはたくさんの律法があって、あれをしろ、これはダメなどと、命令調の言葉が多いですよね。なんか堅苦しく感じるし、拘束されるような印象を受けるのですが・・・。

A. 確かに、聖書にはたくさんの戒め、律法がありますよね。そして、その字づらだけを追っていると、何か神様って口うるさい母親のような印象を受けるかも知れません。

でも、よくよく聖書を読み、その言葉に示された神様の心を知っていくとき、聖書に多くの律法が記されていることが、恵みに思えてきます。

ある場合には、聖書の律法はレントゲンのようなものだと言われます。レントゲンは、私たちの体の悪い部分を調べるために撮りますよね。同じように、聖書の律法は、私たちの生活や生き方に関して、正しいものと正しくないものを明らかにしてくれます。

自分が罪人であると自覚しなければ、その解決を求めることさえしないのが人間です。自分が病気であることを知らないと、治療を受けようとしないのと同じですよね。だから、神様は私たちに、神様の定めた基準を明確に示して下さっているのです。私たちを責めるためではなく、私たちを救うためにです。

また、律法は、神様と人間との関係だけに意味を持つのではありません。人間が互いに愛し合うために、より健全な関係を持てるように、秩序を与えるため、示して下さっているのです。人間の社会に法律や様々なルールがあるのは、神様が与えて下さった恵みだと言えますね。英米法などは聖書をもとに作られています。

また、レビ記というところには、食べて良い動物、食べてはいけない動物などの記載があります。それらが事細かに記されているのは、私たちにきよさや汚れを教えるためでありました。しかし、それだけでなく、人間の命に関わることもでもあったのです。冷蔵庫も食品衛生の知識もまだなかった時代には、食中毒や疫病などが非常に大きな問題でした。神様は、そういう時代に、人々が滅んでしまわないようにと配慮して下さったとも考えられます。事実、当時のユダヤ人は、他の民族に比べて格段に長生きだったそうです。

神様は私たちを深く愛されているからこそ、事細かに律法を与え、私たちを守り、幸せに歩めるようにとして下さっているのです。そして、それを文字通り守ること自体が大事なのではありません。むしろ、そこにある神様の心、神様の思いをしっかりと理解していくことの方が大事ではないでしょうか。その思いを理解するならば、拘束されるような関係ではなく、神様の愛に感動し、喜び、自発的にその愛に応えていく生き方ができるのではないでしょうか。

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